コロナと自由と責任と
仕事そのものを休んで10日になる。
もともとの休日を含めると、12日目だが。
今朝のニュースで、いわゆるコロナ対策をしっかりとっていても感染者が出たらしい。すなわち、マスク・ひんぱんの消毒・距離・換気 という4項目の実施だ。これを実施していても、感染者が出たという。
なんということ。
連休明けには、同対策をとりつつ再開することを決めていた。うちのエリアでは、初回に出た感染者の数いらい増えることはなく、上手く抑え込めているので、各ご家庭での対策が充実している証だろうと判じて、公的機関の再開にならって実施するつもりでいた。
そこへもってのコレか。
流し聞きしていた報道だったので、どこの地域か分からない。交通機関を利用しているだろうから、それぞれが通勤時に感染したのかもしれないが、おそらくその可能性は少ないだろう。
もうひとつ。
埼玉でひとり住まいだった同世代の男性が、軽症から重症へと急転した翌日に、死亡しているのが確認された。自宅待機を余儀なくされていたらしい。お気の毒に。苦しまれたことだろう。合掌。
「これまでの生活がいつかまた戻ってくると希望をもとう」という励ましがある一方で、「従来のライフスタイルが戻ることはない、状況に対応していくしかない」とするリアリズムとが、いま拮抗している。
そりゃ、無力な精神論よりは、現実的な適応力をもつほうがよい。すくなくとも、治療薬やワクチンが開発されるまでは。
うちとしてはどうすべきだろう。オンライン化を始めたところで、従来と同じ内容や精度が実施できるとは思わない。むしろ、「同じ」であることを求めない方がよいだろう。100かゼロかではなく、6割でよいから進めること。生き延びること。それが必要なのではないか。
結局、落としどころが大事なのか。
呑気にかまえていたこの10日間がくやまれる。
決めていた再開日までに、オンライン化を図ろう。
やれるようにやるしかない。
どうやれるか。
その見極めが難しい。
個人事業主の辛いところだ。
すべて自分で判断せねば。
というか-----
そもそも「やらない」選択もある。
いや、これはゼロの道だ。
「いま」一番なにが重要なのか。
検討すべきことが多すぎる。
「やらない」にしても「やれる」筋立てはたてておくべきだ。
検討に入ろう。
本日のつぶやき : 自由にともなう責任の重さ
※書いて考える傾向があるので、迷いの羅列となりました。
追記
この問題の難しさは、判断に必要な要素がじゅうぶん手に入らないことにある。ほとんどの判断で、博打のように右か左かという乱暴な賭けに出るしかない気がする。何をどうしたからよかったか悪かったかは、結果をみて正当化するしか反省のしようもない。