人を映し出すような住まいになあれ
住まいの話である。
いまの家はわたしのもの。
まえの住まいも持ち家だったが、自分名義で手に入れたのは初めてである。
ここは築20年。古いが造りはしっかりしている。それさえ満たせば、あとは仕事にみあう物件であることが第一だった。また、いくら探してもそろそろ物件が底をついて、これ以上のものが出そうにない。そう見たので踏み切った。選択は、住み心地のよさより仕事のための要望を優先している。
ここはしばらく空き家になっていた。大昔の設計だから使い勝手はご想像のとおり。決して、快適とはいいがたい。細く奥にすすむ。手前で、のぼりおりが不安になるほど急な階段が動線を分断している。そのためか、陽の当たる玄関から奥へ進むにつれて、暗いだけでなく、陰鬱な空気がどこにも流れ出せないでいる。淀んでいた。
最寄駅からの立地、業務上の要望、家の規模、駐車スペースなど、ほかの条件はそこそこ悪くないのに、この陰鬱な空気だけは呑めなかった。わたしには邪気を嗅ぎ分ける霊感のようなものが全くない。なのに、この陰鬱さと淀みだけは、なんとしても変えたかった。
おもいきって階段の上り口を居間にひきこんだ。2階のいちばん陽の当たる一室の壁をぶち抜いて、「く」の字に曲げた階段が吹き抜けるようにつないだ。おかげさまで、勾配もゆるやかになった。いまでは二階からの風と光がうっすらと下まで届く。階段を見やるたびに、その先の動線を追いたくなるような愉しさがある。その先はどうなっているの? 知っているのに、問いたくなるのだ。
当然のこと、リフォーム代は大幅に予算をこえたし、真冬の寒さもそれなりに増すだろう。でも、これはやってよかった。必要な出費だった。
居間は、暗くて陰気だったが、壁面にもっていた大きな鏡二枚をかけて、かすかな光を乱射させている。日中でも電灯がひつようだった薄暗さは、いま鏡のおかげで緩和されている。自分を写すためではない鏡だけど、明かりとりのためにもっと増やしたい。
この町に知人はいないし、始めてしまった仕事のために住んでいる。それだけの土地だ。
仕事を辞める日が来たら、もっとコンパクトな住まいに移るかもしれない。けれど、それまでここで暮らすなら、住まいにはできるかぎり陽気で、健康的な空気をよびこみたい。
緑と風と、日の明かりと。
本日のつぶやき : 人を映し出すような住まいになあれ