お独りさま・始めてみたら快適じゃない!?

single again……独りで生き抜くよ♪ 毎日もがいて迷い悩みうろたえ生きている。自分と向き合うための記録。

賢さひとつで、人生はいろいろと分岐するよね

きのうは忙しすぎて更新できず。


細々とした書きたいことはあれこれあれど、
一本のまとまった話にするのは難しい。
情報開示をいとわなければ書けるんだけど
個人のことだし、とためらうと、
流れがなくなる気がしてますます書けない。


馬の上達や、人付き合いの上手さ––––

いろんな人が集まってくるクラブで
いろんな人が好きなことをいうそれぞれの話を
聞くともなく小耳にはさんで聞いていると、
なるほど……ここらへんで自ずと差が出てくるんだな
と思わされることが、たびたび起きている。


馬術でも、ガンガン上達して対人関係も上手な友人は、
ちょっとしたことが起きたときの対処法も、
じつは抜群に上手い。
迷惑をかけたかもしれない相手がいるとしたら、
その人の耳に入るところで、
さりげなく上手にその人を盛り立てながら
別の人にそのときの事情を打ち明けていく。


片や、聞いているほうも長けたもので、
情況をすばやく的確に読み取って、上手い応答を瞬時に交わす。
賢い人たちの会話というものは、何かにつけて巧みなのだ。


凄いなぁ。素晴らしい人たちだ。
この人たちとの友情を失いたくない。
大事にしたい。




そうかと思うと、別のケースもある。
聞く耳たてようと思って聞いているのではなく
あくまでも聞こえてくるだけの話なのだけど。


自分の苦手な馬に当てられたとき
「どうしてもっと乗りやすい馬に当ててくれないの?」
毎度こう返す人がいる。
みんな同じ料金なのに、なぜいつも自分だけは
乗りやすい馬に乗せてもらえるものと思っているのか
まことに不思議でならない。
そもそも、乗りやすい馬ばかりでは上達しないではないか。


あるいは
上手く乗れなかったとき、その原因を
「馬が変わってしまったからだ
誰かがいつの間にか、こんな馬にしてしまった」
と、そういって取り繕う人もいる。
こういうのはちょっと悲しい。


もっともこれは、あの人のせいで潰された
と苦情をいう人が他にいることの現われでもある。
それもまた、ちょっと悲しい。


あきらかにレベル違いのレッスンに出た故の遅滞なら
次回からは参加レベルを下げて欲しいけれど、
いつもの仲間内のことなら、本当にお互い様のことなのだ。


自分の人馬のせいで全体のレッスンが滞ることは、
ままあること。
自分がその立場であれば、いたたまれない気持ちだし、
馬を指定して料金を別に払ってその場にいる場合などは
ひたすら残念に思う気持ちがいっぱいに募る。
けれど、明日は我が身。
おたがい様と割り切るよりほかにない。


たとえ誰かがトラブって上手く動かせなかったとしても、
自分の馬と対話する練習にはいかせるはずだ。
ハミを通して、両脚のはざまに居る馬と対話する。
「もう少し背中を使おうよ、もっと頭を下げてみて。
右を向いてごらん、こんどは左だよ。
アゴを譲ってくれないかな。そうだよ、ありがとう」と。
先生が誰かにかかりっきりになっているときほど
その基本中の基本に立ち戻れるのは、ある意味ありがたい。





上手く乗れなかったことを、自分から切り離してしまうと
反省から生み出せるものが無くなってしまう。
どうしたらよかったのかな。
他の人はどう乗っているのだろう。
あの先生ならどう指導されるかな。


気に病めばやむほど、その課題を長くもちつづけて
自問する機会は増えるとおもう。
ことあるごとに振り返るはず。
そこからときに、なにかのヒントがふっと見えることもある。


そこにこそ進歩の兆しが潜んでいるのではないかなぁ。
いつもそう思って、
しっかりどっぷり落ち込もうとしているのだけど。




もちろんたびたび、溺れそうになるよ~💦
あああ゛ だれか引き上げて~!!




本日のつぶやき : じつは相当な M なのかもしれん~!?

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