やるなら本気でやらんかい
昨夜はめっちゃくちゃに眠くて、ブログを書こうともしたが、挫折した。
ぬぁんと、夜9時に床入りした。
お子ちゃまタイムである💦
それっくらい、きのうの馬レッスンでは疲れてしまったのである。
起きて気が付く、8月入り!
きょうから8月ではないかっ?!
ということは、7月の締めをサボりで終わってしまった。反省だなぁ。
きのうはお休みの日だったから、いつもどおり練習してきた。
※初めてお読みくださる方、わたしは乗馬が好きでやっております💦
定例の2鞍(45分レッスン2回のこと)のうち、
ひとつがマンツーだったもんだから、
脚が、奥の芯までクッタクタになってしまった。
ここのところ、身体も慣れてきていたので、
通常レッスンでは、もはや筋肉痛にすらならなかった。
それがマンツーマンになった途端に、コレだ。
つまり、自分でもっとしっかり意識して身体を使って乗らないと、
ぜんぜん進歩が無いのかもしれない💦
※さすがに今日は、筋肉痛になった。
なが~い馬の身体をまっすぐにすること
馬というもの、ああ見えても前後に長い。(ん? 見るからに長いか💦)
1つの身体だから、一個のものとして考えがちだけど、
こちらが細やかに調節してあげないと、
身体がクネクネ~と曲がってしまったり、
酔っ払いみたいにヨタヨタと、まっすぐに歩けなかったりする。
自分では、馬を曲げていないつもりでいても、
馬上からよく見ると、首が、付け根から左右どちらかに傾いていたり、
ひどければ、首のラインが S 字にくねっていたりする。
人にもあるよね、脊柱湾曲症とかさ。
人のばあいは天地の話だけれど、馬だと前後になる。
身体がまっすぐでないと、腰やヒザに痛みが生じてくる。
馬も同じことで、指示にしたがって走ろうとしても
馬にとっての不都合がじわじわと生じてくるのだろう。
先生は、馬の一瞬の動きをとらえて、
「いま肩から逃げられている」
「肩を張っているでしょ!」
と仰るのだが、指摘を受けても、
これを自覚することからして、難しい。
経路(走り方と図形とタイミングを指示したもの)を回るときも、
馬も人も、図形の上をきれいになぞらなければならない。
馬の頭や乗り手はライン上を走っているつもりでも、
馬のお尻がドリフトして外へ流れていたりすると、
「ラインどりが汚い」といわれる。
これも、馬をまっすぐにしきれないからだろう。
このあたりのこと、休会前にもよく指摘されていたことだ。
そういう馬体の癖や、ラインどりを、乗り手がどうまっすぐにできるか。
左右の手と脚とをひっきりなしに駆使して微調整ししていかないと
させたい運動もさせられないことになる。
大げさに表現すると、
馬術は、F1 レーサーのハンドル操作みたいに忙しい。
昨日の乗りから反省したこと――真直性
きのうの乗り方を振り返っていたら、
- 友だちとの雑談
- 他の先生からの説明
- 過去の、上手くいったときの状況
- 過去の、失敗したときの状況
などなどから、
「馬をまっすぐにすること」にまつわる雑多な記憶が蘇ってきた。
いや、別に「まっすぐにする」という項目で
ひとくくりにして保存してきた記憶ではない。
むしろ、
なぜか上手くいったときの記憶と、
なぜか猛反発されたときの記憶と。
そのどちらにも、この「まっすぐにすること」が共通する原因として
根本にあったのかも……と、気がつかされた。
そしてたぶん、これが原因だったのかも、と解釈する方がしっくりするのだ。
だとすれば、以前よりもうすこし深く理解できる気がする。
外方の拳をゆるめるな!
拳と外方脚とで壁を作れ!
※これは休会前から練習していたことだけど、改めて思い出した。
教えは、こうしてインパクトが強ければ強いほど、しっかり身に刻まれる。
こうしたことを必死になってやっていないから、
筋肉痛にもならず、しれーっと練習した気に、
気持だけ練習した気になっていたわけだな(。-_-。)
バカったれ。
本日のつぶやき : かならず取り戻す。