作品のこだわりがいい(改訂)
映画『鬼滅の刃』を見てきた。
思えば、まだまだ蒸し暑かったころに、
子どもらから教えてもらったマンガとして、
ここに一度書いたことがある。
当時は、ここに書いても、成人の反応はさっぱりなかったのに、
いまでは、あちこちで大人の方が見てきたという反応である。
ちょっとの間に、ドえらい展開だ。
シネマ会場でも、平日の昼間ということで、
いたのはキッズよりも大人ばかり。あたりまえか。
さすがの秀逸さぶり……それでも
アニメ化した全話は、もうすでに見終えていた。
作品としては、確かによく練られていて秀逸な出来だった。
原作のマンガ本は拝見していないが、
下手な邦画よりも、よほど筋立てがしっかりしている。
セリフの聞かせどころもあるし、
個々のキャラも(鬼のキャラさえ)たっているし、
見せ所もしっかりあるし。
それでも、わたしが引っかかってしまうのは、
これはもう少年漫画についてまわる性(サガ)なので、
もはや、作品に対する評価ではないなあ。
❶基本的に、ギャグが嫌いなのだ。
まず音がウルサイ💦
自分で音量を調整できない劇場だから、もうどうしょうもない。
せっかくシリアスに見入っているのに、
ふいにギャグられると、ガクッときてしまふ。
芝居でもそうだ。昭和初期の芝居など、軍人が出てくると急にくだらないギャグが入る。
❷ドラマや映画をはじめ、あらゆる国産ものに通ずることだけど
リアクションが過剰である。
感情表現も、叫びも、音響も、画像も。
最初っからこんなに飛ばしてたら、後半のクライマックスはどうなる💦
と案じたら、その通りの展開だった。
後半には、もう画面でなにが起きているのか、
目では追えなくなっていく。
結局、こういうのは刺激のくりかえしなのだ。
国産ものは、ドラマでも映画でも往々にしてプラスでしか考えない。
足して足して足してばかりなので、
受け止める自分としては疲れてしまう。
映画でも、ホラーは嫌いだが、それというのも、
急な展開・音による脅かし・血しぶきなど
スプラッタのくり返しになることが多いからだ。
見終わったときには、本来の持ち味の怖さなんかより、
ひゃっ! キャッ! びくっ! の連続技に
身体と神経の方が疲れて、ぐったりゲンナリしてしまう。
※この点だけでいえば、日本のホラーは
「ジメジメとした物静かな怖さ」が異質だと高評価を生んでいる。
ところが戦闘ものになると、どれも一様な展開になるんだな~。
国産もののドラマや映画をわたしがほとんど見ない理由は、
こういう画一的なつくりが好きになれないからだ。
作品作りのための次を考えているか
昔、カナダで映画監督を目指していた日本人男性のブログで
ハリウッド映画には、制作理論があると読んだ。
たとえば❶導入後15分以内に事件を展開させること。
❷登場人物の役柄には人種のすみ分けをさせること、など。
そうした「掴み」のための理論と、
日本の制作方法にみえるこの画一化とは、
じつは似ているようでいて、別物ではないかと思う。
しいていえば、国産ものに理論はなく、
ただの惰性におもえる。
「こう作っておけば、これくらいのスコアはとれる」
という、経験による画一化。
「余計なことはするな」発想。
つまり、進歩も革新もあったもんじゃない。
次の展開どころかセリフまで読めてしまうので、
シラケてしまうのだ。
それでも『鬼滅の刃』では、わたしのおもう
「疲れる」展開を、ぶった切った個所があった。
ネタばれになるから、詳しくは書かないけれど、
あのとき思った。
この緩急はいいなと。
わたしのような感覚になる者がいることを
理解してくれているのは嬉しい気がする。そう思った。
あの間合いは、ホントなかなかよかった。
いい緊張を生んだ気がする。
ところで、あの作品で、
天邪鬼なワタシがいちばん好きなのは、
鬼の心情をていねいに描いているところ💗
炭治郎のできすぎた優等生キャラは、
ちょっと鼻につくけど、
鬼が、抱えもつ悲哀や執着までを
しっかり描き出してくるところが実にいい。
ただの勧善懲悪ものじゃないところが好きだ。
たぶん
続編ができれば、また見に行くと思うよ。
本日のつぶやき : こだわりぬいた作りは必ず何かを残す
追記
国産もので疲れる理由がもう一つあった。
❸ベタに説明しすぎる
まあ、このアニメは子供向けだから、噛んで含めるように言うのも正解かもしれない。
でも、ここまで説明しなくても伝わるのに。そこが、わたしには残念ポイントだ。
言葉に置きすぎると軽くなる。さらっと描く方が、後からじわじわと来る。それこそ、見た後のお楽しみなのに。なんでもすぐ伝わる・すぐ泣かせることを望みすぎじゃないかな。
噛んで、しがんで、味わえばいいのに。もったいないよ。