世界史のロマン---避けがたい中東
木曜の夜になると、ホッとする。
ひとまず今週の山場は過ぎたから。
いつのころからか、
その週の山場を越えるまで、あくせくし、
越えたら越えたで、ぬらーっと休日をつぶして、
次の週からまた同じことをくりかえす。
こうして、歳月の過ぎる速さをまざまざと感じさせられながら、
気が付いたときには、
深刻な「老い」と向きあっているのかも……。
うげげげげ。
世界史に抱くロマン
ひとつ前の記事で、世界史への飽くなき憧れについて書いた。
でも世界史を研究するほどのめり込む自信はなかったので、専攻はしなかった。
あくまでも教養として、雑学として、お気楽に学びたかった。
それを思うと、いまの時代は幸せだ💗
書籍だと、不幸にしてうたた寝しかねないわたしのようなグータラ者でも、
youtube のような情報技術の恩恵を受けて、
いつでも好きなことを、好きなように学ぶことができるのだから。
さて。
では、なぜ中東を学びたくなったのか
理由を挙げれば、キリがない。
オスマン帝国外伝も大いに貢献しているが、これはもう書いたので割愛しよう。
なぜ中東を学びたくなったのか
中東といえば、
4大古代史の一領域であり、3大宗教の聖地をいだく地域であり、
「テロ国家」「テロリスト集団」を生んだ地域だ。
世界の中でも、きわだった重要地域であることに間違いはない。
キーワードである
「ビンラディン・タリバン・アルカイーダ・イスラム帝国」などは、
日々の紙面を賑わしてきた。
そして、判るようでいて判りきらない語彙であり、概念ではないだろうか。
成人して、世の中の動きをそれなりに見渡すようになったころ
湾岸戦争も起きている。
いくつかの断片的知識はもっていても、
つなぎ合わせきれないパズルピースのようで、
いつまでたっても中東は、しっかりとした全体像が見えてこない。
このままでいいのか? 嫌だ。判るようになりたい。
身にさし迫ってくる中東情勢
理由❶ 20年以上も前のことだろうか。
翻訳を勉強していたとき、仲間内で、
イラクの核査察はイカサマであったことを報じる小冊子を教材にしたことがあった。
その小冊子には、その後も合わせ3回ほどお目にかかっている。
理由❷ ツインタワーが、ビンラディンのテロ攻撃に遭ったとき、
ちょうど夜11時ごろのニュースを見ていたときだった。
同時多発テロの即時放映だった。
なんだ、これは?!
突然のあの衝撃的な映像は、
何が起きているのか見ている者には想像もつかず、
映画予告かなにかだろうか……としか思えなかった。
(同時多発テロの攻撃対象はツインT だけではないが……)
理由❸ 「アラブの春」が起きたころ、
ツイッターを十二分に活用していたわたしは、
時代を揺るがす海外ニュースの流入に、
ただただ傍観している自分では我慢できなくなっていた。
チュニジア、エジプト、シリアから、どんどんと流れ込んでくる。
「デモ隊に発砲しろという命に背いたこの兵士は、生きたまま焼かれた!」
「いま、この国に起きている事実を拡散してくれ!」
「悲惨な祖国の現状を、ぜひ世界に伝えて欲しい!」
「明朝、ヌビアから傭兵が入国すると傍受した。祖国に警告を!」
英語を訳せる者は、こぞって協力体制をきずいた。
画像や裏付けのあるツイートを、デマではなさそうだと判断したものから
順次それぞれに訳して流していった。
発信元にも、陰ながら見守っていることを忘れずに伝えた。
「このツイートは訳して拡散した。皆さんを応援している!」
「世界が注目している、諦めないで!」
「アラブの民主化を、心から祈念している」
当時のツイッターのタイムラインは、
まさに「アラブの春」一色で覆われていた。
訳しながら、なぜか涙があふれて止まらなかった。
こんなことが「現実」として、いま起きているなんて!
理由❹ タリバンに撃たれた少女マララの書籍も、その後に読んだ。
2014年にノーベル平和賞を受賞した、フェミニスト・人権運動家である。
細かい理由を挙げればまだまだあるが、
仔細はもうどうでもよい。
英語を学び、
哲学としての宗教を学び、
ヒューマニストとしての自負を捨てたくなければ、
無関心ではいられなくなってくる。
やはり、どうしても絡まずにはいられない中東なのだ。
ずいぶん長くなってしまった。きょうはここまで。
27日中に書き上げたかったなぁ。
次回につづく。
本日のつぶやき : 成人期の半分は、断続的に中東にかかわってきた