お独りさま・始めてみたら快適じゃない!?

single again……独りで生き抜くよ♪ 毎日もがいて迷い悩みうろたえ生きている。自分と向き合うための記録。

スポーツでも自分と向き合う

スポーツをする目的は人それぞれで、仲間うちでもいろんな人がいる。


なんのためにスポーツをする?

❶趣味とわりきってストレス発散が目的の人。
こういう人は、しゃかりきにはならない。体育会系の先生に、どやされてまでレッスンする気持ちはさらさら無い。「なんでお金払ってまで叱られなあかんの!」というのがお好きな決まり文句だ。まあ、確かにその言い分にも一理ある。



❷勝負をかけたりライセンス取得を目標にする人。
このタイプは先生と連携し、緻密にプランを立てていく。仲間うちにも一人いるが、ご本人のお仕事もそのまんま。相手に目標を決めさせ、伸ばすことを生業にしている。そして、その手法が一番伸ばせるのだと公言する。つねに素直に従ってくれるなら、必ず合格させているらしい。最も厄介なのは、なんのかんのと理屈をつけて、やらずに逃げてばかりのタイプ。これは手の施しようもない。ごもっとも。いわずもがなである。



        


この両極の分類でいくと、わたしはどちらにも当てはまらない。
「趣味だから伸びなくてもいい」のは嫌だ。といって「試合に出て勝ちたい!」のもない。わたしはやっぱり自分と向き合うのが好きなだけなのだ。
ということで……❸になる。



❸できなかったことを、できるようになりたい人。
このタイプはべつに打たれ強い。叱られたりどやされたりも全然平気だ。食い下がることができる。叱られるその裏には、ちゃんと愛があることも理解している。


わたしはやっぱり内向している。自分に向きあうことにおいては粘り強い。だから、おいそれとは投げ出さない。だが、相手に勝ちたいという闘志がまるで無い。そもそも試合にも勝負する相手にも、興味がない💦 だけど、スコアには注目する。自分が伸びたかどうかの証だもの、当然のこと知りたいのだ。



   



面倒なので割愛するが、実際にはもっともっと分類できる。友人の顔を思い浮かべると、いくつもできる。それに、昇り調子のときには❷だった人が、壁にぶち当たりスランプに陥ってくると「しょせんは趣味だから」といって❶に変容することもある。



それでもいいじゃないか。それも含めて「趣味」だもの。どう参加したっていいのだ。
なによりも、みんな馬という動物に魅了されてしまった。動物とともに挑めるスポーツなんて、他には、犬とともに挑むアジリティくらいしかない。お手軽そうなアジリティでさえ、日本ではまだまだ実践できる場が少ない。たぶん、乗馬クラブの方が圧倒的に多いと思う。この出会いには感謝している。






本日のつぶやき : 夢中になれるものがあるのは幸せなこと






◆ズレるけど、どうしても書添えておきたくて。
体育会系の指導に怯みはしないが、たまに見聞きする以下のパターンは違うと思う。
「なんべんいうたらわかんねん」調の理不尽な叱り方をする指導者は、力量不足と断言する。身体の「どこをどう使えばどうなるのか」を伝えないかぎり、指導にはなっていない。論理的に説明するか、説明せずに身体を動かさせて体感させるか、理想に導くために誘導するか、イメージを表現して伝えるか。とにかく、相手に伝わるまで手法を変えてアプローチしないかぎり、一辺倒の説明で伝わると思っているとしたら、それは指導者が無能なだけだ。


向き合うレッスン生の拙いところを、根気強く、端的に指導するのは実に骨が折れる。下手をすると、❶にはまず嫌われるし、プライドばかり高い❶が相手だと、素知らぬ顔をして無視をきめこんでくる者もいる。失礼な話だ。いくらお金を払っている立場としても、指導者には敬意を払うべきである。こういう相手は、指導者もやる気を喪失しかねない。ま、お金払っても伸びない原因の最たるものの一つになる。
自業自得というやつか。

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