繊細な馬にむきあう難しさ
きょう仕事は、お休み。
前回、惨敗を喫した例の馬に、もう一度当ててられていた。
リベンジを図れ!というご指令である。
そして、この配馬をしたのは、おそらくずっと見てもらっている機関銃の先生。
レッスン担当ではないものの、事前に「拍車も鞭ももたずに」と、
ご指示いただいた。
気にかけて下さってるんだな……ありがとう先生(*´ェ`*)
機に乗じて、泣き言をいってみた。
「せんせー💦 この前(この馬に)徹底的に叱られたんですけど」
とアドバイスを求める。
「乗りが強いんじゃないですか」
痛いところを突かれた。
やっぱソコですか~。わたしの弱点である(T_T)
中級レッスンに出ていたころ、課題の筆頭がコレだった。
繊細で緊張しやすい馬に、優しく控えめに乗ることができない。
たとえば今日でも「馬を緊張させない」ように心がけていても、
自分が自分の課題に懸命になっていると、それが乗り手の身体の硬さとなって、
馬には緊張として伝わるといわれた。
そんなふうに言われると、こちらの緊張こそ、いや増すではないかぁ💦
どないせーっちゅうのん。
いくら「何もしないでじっと乗っている」といわれても、またがったからには、
文字通り「何もしなくていい」わけではない。乗馬はそんなに甘くない。
大らかな馬には普通にできることが、繊細な馬の前ではダルマさんである。
自分のどの行為が、馬の緊張度アップに加点しているのか予見できないのだから、
自信もって乗れないのだ。きょうは先回よりまだ穏やかに乗れたが、まだまだ手ごたえが不安すぎる。
ここであえていうと、わたしは馬が可愛い。愛おしい。
でも、いくら馬が可愛くても、「思い切ってやっていい、とにかく動かせ!」といわれれば、その確認さえもらえば、拍車ナシでもビシバシやれる。めったなことでは馬に遠慮しないし、乗り手を舐めたような馬の行為に甘んじることもない。
「サボれば休める」ことを覚えると、馬はますます指示を無視して動かなくなる。
それは乗馬クラブのお荷物になることだ。乗用馬としての使い道がないとなれば、廃馬しかない。廃馬とは、すなわち屠殺されること。
どちらが可哀そうだろうか。
ふだん全く遠慮しないワタシが、「緊張しやすい馬を緊張させない」よう心がけたとたんに、ひたすら馬に遠慮してしまう。難しい。
以前の課題を、いまこんなふうに再び授かるということは、そろそろ戻ってもいいということだろうか。それなら、ここまで繊細な馬より、以前から練習していたあっちの繊細な馬で、段階的にやさしい扶助の練習を再開したいな。
来週、それを見極めてもらおうと個人レッスンを入れている。
本日のつぶやき : 先輩の2人、きょうの馬に爆走されてるらしい💦
テンション上がると難儀する。