お独りさま・始めてみたら快適じゃない!?

single again……独りで生き抜くよ♪ 毎日もがいて迷い悩みうろたえ生きている。自分と向き合うための記録。

根絶ではなく対処策を

ひとり暮らしをしていれば、
当然のこと、
いつかは病気になったり、
起き上がれないほどの事態にもいたるだろう。


そう思っているから、
気が付いたら死んでいた……ってこともありえる。
そういう覚悟のほどは、とうにしている。



だから、上野千鶴子さんのご本と同じく、
自宅で死ぬことのなにが悪い!
と、いまのところ、じぶんは開き直っている。
といいつつ、いざ動けなくなったら
怖くて心細くて、
おんおん泣き叫んだりするかもしれない。
でもいまは、ひとまず
そういう事態が起きうることは覚悟のうえだ。



ひとり死んでいくのは哀れなことか

先日、なにかを検索していて
ご同様のスタンスの記事を見つけた。


こちら⤵️


ここにも出てくる一般的なものの見方の
「誰にも顧みられずに死んだ人は気の毒だ」って感情を、
当のわたしが、受ける立場になったら、
どうだろう。
そんなふうに、自分を受け止めてもらいたいだろうか。
もしかしたら、
勝手に判断しないで……と思うかもしれない。



自分が40代のころ、
以前の上司が、単身赴任先で急死された。
そのときは、やはり自分もまた
苦しまれなかったろうか
寂しくお辛くなかったろうか
と、考えてしまった。
だから、傍の者として
こういう気持ちになることは、重々承知のうえだけど。



いまだって、わたしは好き放題に生きている。
好きな人とだけ付き合い、
好きなことに邁進して、
存分にやりたいことをしている。


そして。
こんな快適な生活を放棄してまで、
最期の締めくくりに備えたいかと問えば、否!
いずれ後悔するかもしれないが、
その後悔をも呑み込むほどの覚悟で、いまを生きていたい。



自分にとって唯一の気兼ねは、
死んだときに気づいてもらえるかどうかだ。
ここでも言及されている
 IT によるモニタリングの充実だ。



根絶をねらうと対処法を講じられないジレンマ

なにか問題がある、と誰かが提言すると、

  1. それを根絶しようという動きと
  2. それが起きたときの最善策を講じようという動きと

2通りの対処法があるとおもう。
だが。
日本ではたいてい前者が議論される。
いまのコロナにしても、いじめ問題にしても。


しかし。
前者を論じ始めると、後者のことは想定しなくなる。

  • 完全封鎖をもくろむのだから。
  • 根絶をねらうのだから。

対処法には、端から意識が向かない。ムダだ。


そのため、いつまで経っても、


後者の対策をしっかりと講じる機会なんて
いっこうに訪れっこない。


これが、日本社会の根っからの問題じゃないだろうか。



プラグマティックに、
問題は常に起きることを前提に
抹消してしまうコトなど不可能であることを想定し
対処法を講じていくべきではないだろうか。



一日も早く
危機管理に長けた社会になって欲しいものだ。
人口の動態調査からしても明らかなように
おひとりさま世帯が減るようなことは無いのだから。



トンコさん いつもありがとう。



本日のつぶやき : 孤独死っていうな。おひとりさま死だぜ。

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