お独りさま・始めてみたら快適じゃない!?

single again……独りで生き抜くよ♪ 毎日もがいて迷い悩みうろたえ生きている。自分と向き合うための記録。

「いま」を意識すること

こっわ~!!
今朝のニュースで。


体育の授業中、医療用マスク(N95)をして激しい運動をしていた中学生が、とつぜん死亡するケースがあいついで発生しているらしい。


酸欠になるらしい。中国の話だが、心底こわい。


息ができずに苦しいなら、ふつう無意識のうちにもマスクなんて外してしまいそうじゃないか。なのに、そんな衝動さえ効かないうちに、いきなり死亡してしまうのか!? 
怖いよ、これは。おそるべし酸欠!


わたしも狭い室内に大勢で詰め込まれると、自覚しないうちに眠りに落ちる。
自分に「眠い」という自覚はまったくない。ないのに、不覚ながら眠っている。
大学の演習、会社の研修で何度もあった。マジメに受けようと思ってるのに。
知らぬ間に眠り込む。どうしてだろう、と悩んだこともあった。
でもいま、あれは軽い酸欠になっていると理解している。


他の人より酸欠に弱く、その影響を受けやすい。
換気してほしい、と求めるまえに意識が落ちる。


自分のばあいはただの居眠りで済んでいるけど、これは程度問題だろう。
もっとも深刻なのが、死に至るケース。
変化に「気が付かない」というのは何よりこわい。


まあ、これでお陀仏になったとしても、いちばん楽な死に方ではあるけれど。
いつかはサヨナラするんだから、できれば痛みのない逝き方がいいもの。





話は変わる。


きのうスーパーは一転して家族連れでいっぱいだった。
ひとりで買物に行くって規範はどこいったの?
なんでみんなワサワサと家族連れで出てくるの?
「母の日」というイベントだけで、昨日まで意識づけてきたことが無に帰すの?





もう一つ。
きのう、琵琶湖岸に住む友人から、怒りのメッセが入ってきた。


県外から湖岸へ BBQ しにきた連中が、ゴミを分別もせずに放置して帰る。
そのため、地元民が後始末に追われている、という。

  • ゴミの分別しなおし
  • 有料袋の費用
  • ゴミ収集日までの管理

自宅のゴミですら、次の回収まで保管するとなると大変なのに。
そりゃ、これは憤りたくもなるだろう。


ついさきほど、「かの震災時には……」「日本人ならではの広徳心」という清々しくなるブログを読んだばかりなのに、一方でこういう無神経な話を聞いてしまう。


BBQにやってきた人たちも、きっと地元では、自治会でよびかける清掃活動にも参加し、回収所のゴミ当番を担ったりもしているはずだ。お家のゴミ分別は、燃やす燃やさないに始まり、ペットボトルや紙パック、缶やプラスティック回収のルールだってちゃんと守っているはずだ。


      


「日常」であれば当たり前なことが「非日常」の枠組みになると抜けてしまう。



わたしとて同じ。
転居前、自宅の収納や引き出しに詰め込んでいたありとあらゆる不用品を捨てようと躍起になっていたおり、大きなゴミ袋に手あたり次第いっしょくたに詰め込んでいた。そのままでは回収されないのをわかっていて、そうしていた。
結局あとで回収してもらうため、分別しなおしたのだけど。
※なにも考えず、ひとまず「捨てる」ことに意識を集中したいのだ。




非日常ってなんだろう。
身体に染みついた日常のルールも、いま一度しっかり意識しないと向きあえない?
日常のルールも、こんなときは免除されていい?


とんでもない災害に見舞われれば、分別など度外視して回収してもらえるだろうが、BBQ はそこまでの「非日常」ではない。遊びに行った当人たちには「非日常」であっても、傍の者にはあくまでも「日常」の延長である。海水浴しかり。お花見しかり。


あくまでも自分の線引きひとつなんだよね。



自分の意識や自覚でもって身を守ることがあるように、
自分の意識や自覚でもって他をきずつけないこともある。


「ついうっかり」やったことで多大な損失を出してからでは遅い。
自覚しないうちに倒れこんだのでは遅い。


「いま」している行為の意味に気が付くことが必要で。
「いま」している行為の一歩先まで、想像してみることが必要で。




粗忽ものとしてはとても耳の痛い話だ。




本日のつぶやき : いまの行為ひとつひとつをおざなりにせず意識すること
        -----これはヴィパッサナー瞑想に通じる-----

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