お独りさま・始めてみたら快適じゃない!?

single again……独りで生き抜くよ♪ 毎日もがいて迷い悩みうろたえ生きている。自分と向き合うための記録。

シニアライフにこそ必要な生き甲斐

ときどき考える。
いま独り暮らしゆえに、その先を考えてしまう。
考えないよりはいいはずだ。


身体が元気でいるうちは心配ないし、
頭が不自由しないくらい機能しているうちはいいが、
その先、おんや~??と前後の脈絡が判らなくなるような
日がつづいたら、どうしよう。
拙いよね。
かなり危うい。
独りで生活してることが危なくなってくる。
住まいだけでいうなら、ホテル住まいもアリかなぁ?



いまご家族がおられても、
いずれ子どもが手を離れ、ご主人や奥様を見送り、
お独り住まいになったとき、
他人事でしかなかった方にも、これは現実の問題と化す。




高齢者のためのコミュニティは

独りで、いつまで一軒家に居られるだろう。
いつか、どこかの施設に入るべきだろうか。
もしくは、ワンルームマンションに移るべきか。
ぐるぐると妄想してしまう。


でも、箱ものについて考えるのは、ちょっと先送りにしよう。
その前に、大事なことは人間関係だ。
もう少し、小回りが利くコミュニティ形成について考えた。


先日、義母とランチしたときに話題になった。
義母は、かなりパソコンが使える人なのに、
いまだテクテクと公民館まで出向いて、
何年も同じパソコン教室に通っている。


「もうしっかり使えてるやん。いまさら何を習ってるん?」
「なんやろなぁ……ただお喋りしにいってるだけかも。」
コロコロと笑いながら、そんな話になった。


わたし自身、このエリアに知人は義母しかいない。
あとは、仕事がらみで知った方々。
といって、仕事は仕事。
プライベートでなにかあるかといえば、ありようがない。


わたしとて、知人を増やそうと思うと
「そういうお稽古ごとに参加するしかないかな……」
「あんたはまだ早いわ……」と義母。


要するに、
高齢者クラブや、シニアサロンのようなものに参加するのは
日中するほどのこともなく、
仕事らしい仕事もなくなった暁に始めるものだ、
ということらしい。


    


どんな付き合いを求むか」が肝だから

たしかに、ただ暇を持て余しているだけの理由で
寄り集まってきた者同士が、その後に、
顔を突き合わせる回数が増えるだけで
いいお仲間の関係になれるだろうか。


どうだろう。
せいぜい茶話会どまりではないかなあ。





実際問題、この年齢になって善い人間関係を増やそうとすると、

  • 趣味(スポーツ)の世界でのめりこむ
  • ボランティア活動をする
  • 学びの場に通う

ぐらいして
深く関り合う場にいやおうなく身をおくしかない。




たとえばの話だが、40代のころのこと。
日本語教育のボランティアをしたことがある。
地域に住む、外国人の生活をサポートするのが目的だった。


わざわざ通信教育で日本語教育のノウハウを学び、
プロの日本語教師の指導下で、
日々のレッスン相手をしたり、イベントを実施したりしていた。


このときの仲間とは、何時間もファミレスで議論したり
打ち合わせをしたりしていたから、いまでも付き合いがある。
わたしはとうの昔に、その地域から引っ越してしまったというのに。




そうなのだ。
お付き合いのクオリティを求めるなら、
そういう集いには、集うだけの目標がしっかりあって、
その共通の目標に向き合うような必然性がないと、
お付き合いの質はけっして成長していかない。
集団には、それなりの目的意識が必要なのだ。
おたがいに、話が噛み合うだけの必然性が必要なのだ。



考えなくてもわかる。
うちのご近所におられる、
あのゴミ出し監視魔神と楽しくお茶会を開くことができるか?
否! (((^_^;)  
お小遣いをいただいても無理である!


  




実際、わたしは昔の付き合いをほとんど断ってきた。
同窓会とか、まっぴらごめんなのだ。
思い出話に興ずるのなんて、およそ興味がない。
いま・このときをしっかり生きていたいのに、
過去の恥ずかしいころの自分しか知らない人たちと、
いったい何を話しこめるだろう?


過去の恥をいっぱいご存知な人と、よりも、
「未熟だったわたし」を全くご存知ない人と、
一から新しく関係を築く方が、まだ楽しい。
まだ、はるかに建設的だ。


こんなふうに考えるから、自分はかなり頑固だし、偏屈だ。
愉しいと思えない集いなら、独りでいる方が充実する。
少なくとも、無為に過ごしてしまうことはない。
こんなわたしが、ちょっとした茶話会ぐらいで、
いいお仲間を見つけられるかというと、
かなり難しいだろう……と自分で結論が出てしまう。



というわけで、こうした思考実験も紆余曲折してしまう。


お助け互助会じゃないケド、それに似た何か……
独り者が、いざというときに助け合えるような何かが作れないものかと
お試し気分で、SNS に小さな輪をつくってみたが、
やはり参加者の意向もまちまちで、
足並みそろえるどころか、
オンライン飲み会すら、企画倒れ寸前だ。


なにも発言しない方も多くて
そもそも、なにがご希望でそこに参加しておられるのか
それさえ、わたしには把握できない。
呼びかけても返答がない。
傍観者があまりにも多い。
難しい。



だけど、これだけは確かだな……。


みずから一歩、踏み出すことに躊躇ってはおられるが、
いつか、夢のようなコミュニティが出来上がって
空から降ってこないかと待っているような人は
おそらく、ものすごく多い……ってこと。


でもね。
日本という国は、安全に生き延びるだけなら最高だけど
メンタルにも充実するような素敵な企画が
ふって湧くようなことは、まず無いと思うんだけどな~。


自分から求めて探し歩くか、
みずから作り出さないかぎり
容易には手に入らない。
それこそ、そういう場はお宝だと思う。



本日のつぶやき : 馬に乗れなくなったら、次は何に励もうかなぁ。
まだまだ乗るつもりだけど、
ある日突然そんな日がやってくるかもしれない。
そのときの備えはあるか?!

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