自分本位であることも大切
馬の日、とても幸せな1日だった。
この日に話していた
「別の先生にも言われた内容と言葉を、
本気で直さなくては! とずっと反芻しているのだけど」と
話していた内容のことである。
この先生に指摘されたのは、
馬への合図をもっと、じわ~っと出せるようにすること。
馬場馬術では、いろいろな図形を描いて走らせるときに、
- 歩く4拍子の常歩(なみあし)
- 軽く走る2拍子の速歩(はやあし)
- 気持のよい3拍子の駈歩(かけあし)
という3種類の歩法を自在に切り替えながら走るのだけど、
この歩法が変わるときに、
馬の頭の高さは、基本的に、変わらないほうがいい。
ところが、合図がきつすぎて馬を緊張させれば、
ビクッとする馬は頭頸を挙げてしまう。
弱すぎれば、起点となるポイントで
歩法を切り替えることができない。
ということで、
歩法の切替では、乗り手も緊張するのである。
乗り手が緊張すれば、馬も緊張するのは間違いない。
なので、乗り手はできるだけゆっくりと
柔らかな刺激をしだいに強くしていくのが好ましい。
わたしは、このじわ~っとした脚入れが苦手で
下手すれば、繊細な馬には、跳ねられてしまう。
馬場馬術の競技の最中に、
跳ねられてしまうのは以ての外である。
まあ幸い、これまでのところ
経路を進めながら跳ねられたことはないのだけれど。
そしていま、このじわ~っと繊細に合図する扶助を
意識して常にできるように練習しているのだ。
きょうは、いつもの練習馬でも、苦手としてきた馬でも、
これが比較的うまくできたようだった。
帰路、このことについて運転しながら、
いろいろと反芻しながら考えていた。
- きょう上手く行ったことの理由
- 反して、これまでへまをしてきた理由
- 先生の号令に早く反応しなくてはと焦る自分
- 焦る自分の真意
そこで気が付いたのだ。
焦ってしまうのは、自分がえかっこしいだからだった。
馬に、思い通りに動いて欲しいという自分勝手な思いから、
一方的な要求を、馬に求めていたのだ。
馬からすれば、なんて自己中な乗り方をしてたんだろう。
反省はもう1つある。
「周りに迷惑をかけたくない」とも思ってきていた。
だから、前の馬との距離が開くと、
ほかの人馬に迷惑がかからないように
あわてて、馬間を詰めなければいけないと
焦って馬に要求してきていた。
これもえかっこしいの所以だ。
馬が合図を感じてから反応できるまでの間合いを待つよりも
自分の求めるタイミングで動いて欲しいという
勝手な要求をおしつけていた。
この先生は、馬場ではマイペースであることが大事だと仰る。
周囲にふりまわされず、自分を保てることが大事だ、と。
きょう苦手な馬でも上手く乗れた理由は
マイペースに徹してみようとしたことにある。
先生のことも含め、周りのだれにいい顔をするよりも、
ひたすら自分の馬と乗りのことだけを丁寧にしようとしたこと。
- 前の馬との間隔が、どれほど開こうと気にしない
- 反動のキツイ馬なのだから、しっかりと座ること
- 座りながら、自分の姿勢をたえず見直すこと
- 傍への気配りよりも、自分の馬に気配りすること
- えかっこしいを捨てること
実際、わたしが自分の馬との関係をキープしつづけたことで
後ろの仲間はけっこう苦労したらしいが
それは、後ろの仲間にとっての課題でもあるのだ。
そういう立場はお互いさまで、明日は逆転するものだ。
そういう姿勢で乗っていれば、
他の誰がどんな乗り方をしていても
不満を抱くことがない。
前が歩いていても、自分は細かい速歩をさせつづければいい。
できなくても、それを心がければいい。
それこそが奥の深い練習になる。
そういうことを深く感じた1日だった。
充実していた。
楽しかった。
来週も、またがんばりたい。
本日のつぶやき : 目一杯、生きている。