迷って得るものなし・進んでなんぼ
ようやくダウン掛けを押入れにしまった。
このダウン掛け、両親のダブルサイズを10数年前にもらいうけたもの。
これだけのダウン量を確保するのに、いったい何羽の水鳥が羽毛をむしられたのか。
それを思うと捨てられない。せめて大事に長く使おうと、シングルカバーに詰め込んでいる。なので、ダウン量が半端じゃない。こんもりモコモコである。その分めっちゃ温かいけど。やたら嵩高いので、きのう買ってきたニトリさんの圧縮袋に詰めて、ようやく押し入れに収まった。押し入れもパンパンだ~。
話は変わって……
しごとの愚痴なんてあまり言いたくないけど、ちょっと数日前からややこしい。
コロナのため生じた問題で、こちらの対応も二転三転している。そのためご連絡するにあたり、できるだけお伝えする内容にミスがないよう・誤解がないよう・分かりやすいように心がけ、推敲に推敲を重ねている。なのに、どうしてもこじれることがある。
有難いことに、大半の方は協力的で前向きに検討してくださるんだけれど。
2カ月前にも同じことがあった。
あのときも苦労した。現状から取れる対応はプランA かプランB しかないので、ご都合のよい方で決めてくださるよう願った。だがその方は、A だとこうだ、B だとこうだの繰り返しで、いっこうにお決めにならない。言っても詮無いことをずーっと言っておられた。誘導をご案内しても、逃げ道をご紹介しても、そちらに向きあう気持ちはなく、ご決断もされない。
さすがに疲れて、どちらでもいいからお好きにしてください。ご決断されたらご連絡くださいと、お引止めしないスタンスをとった。結局3か月後に「やる」ことにされたが、なにか新しい条件が加わったからでも、事態が変わったからでもない。ただ締めの期限が来たので、そのまま押し流されただけのことだった。
自分で決めないというのは、他力本願や責任転嫁におちいりやすい。
どこかで区切って迷うことをお終いにし、つぎの問題にむきあう姿勢を作らねば、生産性がすこぶる悪くなる。ちがうだろうか。そもそも悩む・迷うというのは、本人にも疲れることである。自分自身を楽にしてやるためにも、ささっと決断する潔さは必要じゃないかと思うのだけど。
本日のつぶやき : ここのところ潔さを話題にしてばかり?
ま、わたしもどこを寝室にしようか迷ってはいるけどね💦
寝室の問題は、べつに他人を巻き込まないでしょ?